どうも、くるみ学長です!
今回は【ざっくり世界史シリーズ】中世ヨーロッパ編です!
前回は古代ヨーロッパについてお話ししました。
読んでないという方は、リンクを下に貼り付けておいたのでぜひご覧ください!
それでは早速参りましょう!
- 覚えておきたいたった3人の人物
- 第1章 西ローマの滅亡とフランク王国の建国
- 第2章 カール大帝
- 第3章 フランク王国も分裂
- 第4章 カトリックとギリシャ正教
- 第5章 カノッサの屈辱
- 第6章 十字軍の派遣
- 第7章 アナーニ事件
- 第8章 イギリスvsフランスの百年戦争
- 第9章 神聖ローマ帝国vsイタリア
- 第10章 スペインとポルトガル
- 第11章 1000年続いたビザンツ帝国
- 最後に
- 「世界史が絶対わかる本」厳選5冊!!
覚えておきたいたった3人の人物
- カール大帝
- フィリップ4世
- ジャンヌダルク
第1章 西ローマの滅亡とフランク王国の建国
前回、ローマ帝国がゲルマン民族の大移動が決定打となり、東西に分裂したことをお話ししました。
分裂後の西ローマはゲルマン民族を抑えることができず崩壊し、新たにゲルマン民族がフランク王国という国を建国しました。
フランク王国は後にフランスとなる重要な国です。
ゲルマン人には信仰している宗教が特に無かったため、キリスト教のカトリックという現地の宗教に従うことで、民を治めることに成功しました。
第2章 カール大帝
フランク王国を強大化したのが、カール大帝でした。カール大帝はキリスト教カトリックのトップであるローマ教会と密な関係を築きます。
それほどキリスト教がヨーロッパ中に浸透していたのです。
カール大帝からすれば、宗教によって国を治めることができ、
ローマ教会にとっても信仰を広げることができるのでWIN-WINな関係でした。
第3章 フランク王国も分裂
カール大帝の時代が終わると同時に、フランク王国は内紛で分裂します。
ローマ帝国が分裂し、西ローマが滅びてフランク王国ができ、そのフランク王国も分裂するという分裂が多くて困ります。
フランク王国は、神聖ローマ帝国(後のドイツ)、西フランク(後のフランス)、イタリアの3つに分裂しました。
だんだんと現在の国の姿に近づいてきましたね。
第4章 カトリックとギリシャ正教
キリスト教はローマ帝国が東西に分裂した際に、2つの宗派に分かれました。
キリスト教も教会を建てたりするのに、お金を使わなければなりません。
ですので、国という「スポンサー」が必要でした。
東に向かったキリスト教は東ローマ帝国がスポンサーとなり、ギリシャ正教という名前になります。
一方、西ローマ帝国はゲルマン民族でぐちゃぐちゃになっており、しかもフランク王国ができてしまいました。
ゲルマン人はカトリックを信仰することで現地の人達を治めたと先ほど話しましたね。
ですが、キリスト教は偶像崇拝が禁止です。
もし人々が勝手に、神を模した人形やら銅像やらを作ってしまうと、「人によって神の姿が違う!」となり、
一神教の信者の信仰心が揺らいでしまうため偶像崇拝禁止となっていました。
しかし、ゲルマン人をいち早くスポンサーにしたいローマ教会は、「ゲルマン人を信仰させるには偶像崇拝させるのが分かりやすい!」となり、禁じ手である偶像崇拝を許しました。
こうして、西側は偶像崇拝が許される「カトリック」
東側が伝統を守る「ギリシャ正教」
と名乗り、別々な宗派がこの頃つくられます。
第5章 カノッサの屈辱
フランク王国が分裂し3カ国に別れたのですが、それぞれの国の王は国内をあまり統治できずにいました。
やがてカトリック教会の権力が高まり、なんと王よりも偉くなってしまいまいます。
そして、権力を持ちすぎたカトリック教会はやがて金と権力にまみれ腐敗していきました。
そんな腐敗したローマ教皇(カトリック教)を、当時の皇帝ハインリヒ4世が権力を奪い返そうとします。
そこでローマ教皇はハインリヒ4世をキリスト教から「破門」しました。
当時の、キリスト教が広まっていた中での破門は、「社会からの追放」と同じぐらい大ダメージです。
ハインリヒ4世は破門を解いてもらおうと、雪の中、裸足で3日間もローマ教皇のいるカノッサ城の門の前に立ちつくして謝罪し、やっとのことで許しを得ます。
これをカノッサの屈辱といいます。
この事件で人々はローマ教皇の権力の絶大さを再認識しました。
第6章 十字軍の派遣
そんなローマ教皇の権力が失墜する事件が起きます。エルサレムへの十字軍の派遣です。
当時、イスラム教の勢力が強くなっていました。
そしてイスラムとキリストの共通の聖地エルサレムという場所をイスラム教が独占してしまいまいます。
それに怒ったローマ教皇が軍隊を派遣して、奪い返す作戦にでます。
しかし、それがうまくいかず失敗に終わりました。言い出しっぺであるローマ教皇に責任が問われ、徐々にローマ教皇の権威が低下していきます。
第7章 アナーニ事件
そんなローマ教皇の権威の低下を象徴する事件が起きました。
フランスの王フィリップ4世がキリスト教に課税を行ったことに対してローマ教皇が怒り、「破門だ!」とお得意の技をだしました。
フィリップ4世は「構うもんか!」と家臣を派遣して、ローマ教皇を牢屋にぶち込みました。
ローマ教皇は怒りのあまり「憤死」したと伝えられています。
この一件の騒動をアナーニ事件といいます。
そうした事件の後から、民衆達も教会に対して疑問をもつようになり後の宗教改革へと繋がっていきます。
第8章 イギリスvsフランスの百年戦争
十字軍以降、イギリスとフランスは力をつけてきました。
そして、イギリスとフランスで「ヨーロッパの覇権」を争う百年戦争が始まります。
前半はイギリスがフランスを圧倒しフランスは危機に陥りました。
そこでフランスに救世主が現れます。
ジャンヌダルクです。
弱冠16歳の少女が率いた軍がイギリスを圧倒し、フランスに侵入したイギリス軍を追い出すことに成功しました。
その後もイギリスとフランスは犬猿の仲となり、度々戦争をすることになります。
第9章 神聖ローマ帝国vsイタリア
一方、神聖ローマ帝国(ドイツ)は悩みがありました。それは、
「ローマなのに、ローマはイタリアにあるじゃん!」
という謎の悩みでした。
そこで、神聖ローマ帝国はローマを奪うためにイタリアに長い間攻め込みます。
対してイタリアは神聖ローマ帝国が攻め込んできて国内が混乱しました。
「神聖ローマ帝国の一部になるべきではないか」という派閥と、
「イタリアを守るべき!」という派閥に分裂してしまいます。
第10章 スペインとポルトガル
欧州で戦争が巻き起こっている間、スペインとポルトガルはヨーロッパの西端という「地の利」を活かして、大西洋航路を開いて大航海時代の先陣を切ることになります。
第11章 1000年続いたビザンツ帝国
ローマが東西に分裂したことを覚えていますか?
なんとその時代から中世後半まで、滅びずに1000年も国家を維持したヨーロッパの国がありました。
それはビザンツ帝国です。
ヨーロッパの東にあるこの国は、ゲンマン人などの民族移動の影響をあまり受けず、きちんと国内を統一し繁栄したのです。
しかし千年続いたこの国も、後に現れるオスマン帝国という国に滅ぼされます。
最後に
ここまでで「中世ヨーロッパ編」終了となります!ここから大航海時代という、世界中が繋がる時代に移っていきます。
如何でしたでしょうか?
中世ヨーロッパの特徴は、キリスト教によって国を統治してきたことです。
しかし結局は、権力が1つに集中するとやがて腐敗してしまいます。
これはどの時代も共通することではないでしょうか?
次回は場所を移って「中東の歴史」をお伝えします。
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それではまた!
次回
「世界史が絶対わかる本」厳選5冊!!
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